反省の時間を持とう

ちょっと長いです。
しかも少し仏教がらみなので、面倒な人はパスでどうぞ。
 
最近読んだダンンマパダ関連の本に、ブッダの教えとして「自己を整えなさい」と何度も出てくる、とありました。
これにはいろんな技法やトレーニングがあるそうなんですが、「身体を整える」が気になりました。
これは行為を整えることも含むそうなのですが、第1歩は「極端な行動をしない」だそうです。
確かに。
人間は放っておくと何でも極端になってしまうそうです。
例をいくつか。
「健康のためなら死ねる」
「はた目から見てもダイエットしすぎ、でも本人はまだだと言う」
「クジラを救うために捕鯨船にテロ」
なんのための仕組みかは後で考えますが、確かに人間は本質としてなんでもエスカレートするようです。
これを知ったあとに自分の行動を鑑みてみると、多かれ少なかれ確かにこの傾向を感じます。
ブッダはこれをよく知っていて、自分を客観的に捉えることによってこれを解決するように教えています。
簡単なようで難しい「自分を客観的に捉える」。
これを常に行うことが、自分の行動のエスカレートを抑制し、極端にならない生き方を実践できるようです。
結果として、自己の行為、行動をバランス状態に保ち、より幸福な生活が送れるはずです。
 
さて、ここからは僕独自の考えになります。
なぜ、人間は本質としてエスカレートするのか。
「慣れる」と言う機能があるからだと思います。
現在の行為、状態に慣れることによって、目的意識は変わらずに手段が変わっていく、それがエスカレートです。
ではなぜ「慣れる」のか。
これは環境に順応するために持っている機能ですね。
人間、「慣れ」がないと時間あたりのストレスは全く減りません。
同じ環境で生きていくためには、慣れる=順応が必要なんです。
 
ここで話を戻します。
では、ブッダの教えでは「順応」のための「慣れる」を抑制しなければならないのか?
答えは面白いことにフラクタル化します。
「慣れる」の抑制も極端であってはならないのです。
さぁ、ややこしくなってきたけれど本質が見えてきました。
つまり、自分を客観的に捉えることは、それ自体も客観的でなければならないのです。
人間はいつまでたってもこれが完璧にできないワケがわかってきました。
程度の問題でもあるでしょうが、ほとんどの人は何かがエスカレートしているはずです。
人間である以上、これは本質から来るので仕方がありません。
でも、たまに自分の行動を反省してみる時間を持って、何かがエスカレートしていないか、極端になっていないか、考えてみると良いようです。
 
みなさん、何かが極端になっていませんか?